タラワ慰霊巡拝の旅

祖父の戦没地であるギルバート諸島タラワでの慰霊巡拝の記録です。

巡拝後〜帰国

3月2日続き
ベティオ島での慰霊の後、キリバス国内のお土産屋さんへ。
ここでは国名の入った植物で編まれたランチョンマットのようなものとうちわを購入。実際に作られたのはタラワではなく、他の島だそうですが…。 ただ、この地域で作られたものを記念に持って帰りたかったのです。 ひょっとしたら祖父達も、現地のもので何かを作っていたのではないか、そんなことを考えながら。

Te Waa mai Kiribatiの皆さん この日の夕食の時間に、宿泊先のオイシタイ・ホテルの方から、サプライズの素敵なプレゼントがありました。現地のダンスグループ「Te Waa mai Kiribati」の皆さんが 伝統的な踊りを見せてくださるとのこと。これは、厚生労働省の方も予定していなかったものだったそうです。
総勢20名。小学生〜高校生くらいの年齢に当たる皆さんによる雄大な踊り。合間合間に入る掛け声も迫力満点です。とても伸びやかな声と少し相撲の しこにも似た振りの舞、可愛らしい女の子の舞、見応え充分の内容でした。
舞が終わった後、一緒に、のお誘いがあり、私達の中で姪として参加されていたYさん、Kさん、そして団長Yさんが参加。何故かキメのポーズがバラバラになるのですが、 それはご愛嬌。
今回の旅、現地の方、ホテルの方と挨拶を交わすことはあっても、それ以上接することがなかったので、このダンスグループの皆さんとの 時間は本当に楽しいものでした。
皆さんが車(トラックの荷台にぎゅうぎゅう詰めで乗車)で帰るのをみんなで見送りました。その中で1人の女の子と少しだけ話をする機会がありました。
「何故一緒に踊らなかったの?教えてあげたのに」、の問いに、「今度来る時に教えて」、そう答えました。今度…いつになるか わからないけれど、またこの国に来たい、本当に心からそう思っていました。笑顔でうなずいた彼女に名前を聞くと、「Sky」そう言って 夜空を指差しました。 この国の夜空、私が魅了されたものの1つです。満天の星、そんな言葉が本当にふさわしい位、星星星。日本ではとても肉眼で見えない ような小さな小さな星まではっきりと見えました。 この星は65年前と変わっていない。この夜空を祖父達もきっと眺めたに違いありません。星にどんな願い事をしたのか、どんな気持ちで星を 眺めていたのか、キリバスに滞在した2日間、私は寝る間を惜しんで夜空を見上げ続けました。

3月3日
いよいよキリバスを離れる日。
2泊3日の滞在ではやはり物足りない。出来る事なら後1日、もう1度ベティオ島に渡りたい、そう思ってもそれは団体旅行、そうはいきません。
8時発のナンディ行きエア・パシフィックに乗るため、4時起床で6時出発です。まだ夜が明ける前にホテルを出発。
空港建物の外側から見送りをしている人々 ホテルから空港までは10分くらい。入国手続きで荷物検査を終えた後は、空港の外で搭乗時間を待ちます。到着した時にも感じたのですが、 見送りの方、飛行機の離発着を見に来ていると思われる方がものすごく多い!朝早くから空港の周りには多くの人が集まっています。 子供たちは、外側のフェンスに上り、滑走路を見つめています。
そして、空港内も自由。荷物検査はものすごく細かく見られるのですが、滑走路周辺には囲いが(多分)なく、滑走路は子供たちの遊び場 になっています。脇を散歩していらっしゃる方も見えます。日本の空港だったら考えられない光景ですが、この国にはしっくりきます。
飛行機は10分ほど遅れて離陸。帰途も幸運にも窓側だったため、少しでも長くこの地を見られるよう窓にへばりつくようにして見つめました。 どんなにくっついて見ていても、この国が視界から消えるまでに10分もかかりませんでした。
機上の人となり3時間でナンディ着。2日前にここからキリバスに旅立ったばかりなのに、もっと長いこと離れていたような気がします。この後 ホテルで昼食を取った後、土産物店により、先日宿泊したメルキュールホテルに行きます。
途中ご姉妹で参加されていたYさんが体調を崩し、妹のSさんと共に昼食をキャンセルし先にホテルにチェックインすることになりました。 お父様の慰霊という、張りつめたお気持ちの上、日本との気温の違いや飛行機での移動など、体力的にも厳しくていらっしゃったの でしょう。心配でしたが、副団長Mさんもご姉妹と一緒にホテルに戻り見守ってくださるとのこと、安心して私たちは昼食の場に向かいました。
スコール そこで今回の旅初めてのスコールに出会いました。先ほどまで晴れていたのに山の方が暗くなってきたなぁと思っているうちに、突如横殴りの大雨です。話に聞いたことはありましたが、 本当に突然こんな雨が降るんだと驚きましたが、よい体験でした。思えばこの旅は非常に天気に恵まれました。 実は私は自他共に認める雨女なので、いつ雨が降るかわからない南国の天気にハラハラドキドキしていたのです。最後に南国らしさを見ることが出来たことも貴重な体験です。
土産物店に寄った後は、私たちもホテルにチェックイン。今回は1階の部屋です。私の部屋は中庭のプールに面していて、この日も 日本人旅行客の方々が水と戯れていらっしゃいました。ここから飛行機でわずか3時間しか離れていない場所、そこで起きた戦いの 形跡はここにはありません。平和で明るい景色だけです。それは本当に素晴らしいことなのですが、私の中では何か違和感が生じて 仕方がありませんでした。かつて起こった悲劇を忘れてはいけない、それはこの旅に参加する時から考えていました。 ただ実際は、忘れたのではなく、元々知らないのです。忘れること以上に哀しいことです。私自身もほんの半年前まで知らなかったし 知ろうともしていなかったことですから、何かを偉そうに語る立場にはいません。でも知る機会を得た以上、祖父を含む、多くの戦没者の方が生きて、戦い、そして亡くなっていった ことを伝えていく必要があるのではないかと、それをしなければならないのが私の世代だと、そう感じました。

3月4日
帰国の日。この日は6時半起床、ホテル出発は8時半。10時55分発のナンディ発大韓航空でまずは仁川空港へ、そして、成田空港に 向かいます。
フィジーの夜明け 朝食を摂るため部屋を出ると、ちょうど夜明けの時間でした。ホテルの敷地内を朝日が上がる方に大急ぎで移動し、その瞬間を見つめました。
新しい1日を迎えることが出来ることに感謝しながら。





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