タラワ慰霊巡拝の旅

祖父の戦没地であるギルバート諸島タラワでの慰霊巡拝の記録です。



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はじめに

20011年2月27日。
厚生労働省主催の慰霊巡拝団の一員として、現キリバス共和国、太平洋戦争下ではギルバート諸島と呼ばれた激戦地に赴きました。
1943年11月に、タラワ環礁内のベティオ島(Betio。ベティオ、ベシオとも呼ばれています)で行われた戦闘で亡くなった祖父の、最期の地を見るための旅。
キリバス共和国は350万㎢に渡り散らばっている33の環礁からなっています。タラワ環礁はその中の1つです。 日本からはるか遠く、日付変更線のすぐ近く、赤道の少し上あたり、太平洋のど真ん中と言ってもいい場所に位置しているギルバート諸島。
主戦場となったベティオ島は、東西3.5㎞、南北の最大幅が500m、そして標高が最大で3mの小島です。
珊瑚礁で囲まれた美しい海とヤシが茂るこの小さな島で、太平洋戦争下に日米による壮絶で悲惨な戦いがあり、4,600名余りの 日本軍兵士が玉砕しました。
タラワでの戦いは、米国では第二次世界大戦、太平洋戦争下での非常に有名な戦闘ですが、日本国内ではあまり知られていません。戦争の 悲惨さ、そして、多くの方が亡くなったことを知識としてしか知らない世代が増えた今、 タラワの戦いについて、そして、慰霊巡拝の制度について、少しでも多くの方に知って欲しくこのHPを作成いたしました。
少しでも関心を持っていただける方が増えれば、そして、今後慰霊巡拝をされる方のお役に立つ事ができれば幸いです。

TARAWA 空から見たタラワ

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