慰霊巡拝1日目
3月1日
いよいよこの日にフィジーからキリバスに向かいます。
12:10ナンディ国際空港発のエア・パシフィックで、キリバスのボンリキ国際空港までは約3時間。昨日降り立ったばかりの空港へマイクロバスで向かいます。
大きな荷物は置いていってもかまわないと案内があるものの、国際便は液体の機内持ち込み制限があるためお酒やお水等のお供物を持ち込むことができません。再び大きなトランクを引きずって出発。
座席は運よく窓際ではあったものの、ちょうど翼のあたりで外の様子がよく見えないのが残念キリバス共和国の上空でその国の姿を
見ようと窓に額をこすりつけるようにして眺めるも、ちょうど翼に隠れてしまい、ほんの端っこにちらりと見える程度でした。
それでもとうとう来たと思うと、気持ちが高ぶってきました。
ボンリキ国際空港には予定通り着。でも、ここからが長い。
飛行機を降りて、そのまま滑走路を歩き、空港建物へ。建物…小屋に近いかも。飛行機から降ろされた荷物を受取り、そのまま真後ろにあるカウンターで荷物チェックを行う
のですが、エックス線がないため、係員2名で台の上に載せられたトランクや荷物を1つ1つ開けて調べます。
フィジーからキリバスに戻る(と思われる)方々は皆膨大な荷物を持ってらっしゃいます。食材が入っていると思われるクーラーボックスやぐるぐる巻きになっている布団等、様々なものを
持ち込んでいます。その1つ1つを全て開けて確認。
特に肉類らしきものを持ち込んだ方は念入りにチェックされていました。品物を1つ1つ取り出し確認をしている様子。
そのため長かった待ち時間が更に長くなっていきます。ここで入念なチェックを受けてる方、実は飛行機で隣の席に座っていらっしゃった
方でした。窓際の席に座っていた私のためにドリンクや機内食を受取って渡してくれるなど親切にしていただいたので、待つのが辛い
という気持ちより、お気の毒な気持ちでいっぱいになりました。
この方のクーラーボックスのチェックで2列のうち1列はほぼ閉鎖状態。残る1名の方で順に検査をするものの全然進まない状態。
最終的に添乗員のIさんが係の方と交渉し、私達の荷物は検査なくスルー。唯一食べ物は荷物の中に含まれているか、のみを聞かれました。
各々がお供物を持っているんですが、何せ日本のお菓子、現地の方に英語で説明が出来るほどの語学力はありません。そのため、
トランクを開けられないのをいいことに、機内持ち込みのリュックに入っていた「candy(飴)」とのみ回答しました。
出国手続きに1時間以上を要し、ようやく解放。
初日はマキン島沖(ギルバート諸島当方海面)で亡くなったHさんのお兄様とマロエラップ島(マーシャル諸島)
で亡くなったKさんのお父様の慰霊です。
空港には現地に住んでいらっしゃる日本人のAさんとAさんの会社の従業員の方(キリバスの方)が迎えに来てくださいました。現地で建築関係の
お仕事をされていらっしゃるとのこと。本当に感謝です。
トランクはトラックの荷台に積んでいただき、私達はマイクロバスで移動します。車はトヨタ製。キリバスにもトヨタの代理店が以前から
あるそうで…世界のトヨタ、という言葉を実感しました。
ホテルには向かわず、そのまま慰霊の地へ。
海上(恐らく)で亡くなったHさんのお兄様、別の島で亡くなったKさんのお父様、いずれもこの島で亡くなったのではないため、できるだけ
戦没地の近くでと、立ち入ることが出来る範囲でなるべく東寄りの地が慰霊の場所となりました。空港からは車で10分ほどの場所です。
観光地化されていない海。場所によってはゴミが集まっている所も。海から流れてくるのか、周辺に住む方のゴミ捨て場になっているのかは定かではありません。
慰霊台を準備していただいている間、周辺を歩いてみました。元はどんな形をしていたのかわからない、鉄骨の飛び出たコンクリート製の
何かを発見。元の形はもうありませんが、鉄骨を入れて作られたものは旧日本軍によって作られた可能性が高いと書かれた本を読んだことがあります。これもそう
なのでしょうか。既に自然と同化しようとしています。木と木の間、枝が絡まっています。ただ、あくまでも人が作ったもの。同化しようと
しても同化出来るものでないことに哀しみが詰まっているような気持ちになりました。
慰霊巡拝は各々の親族だけでなく、この地で亡くなった全ての方への慰霊をするための旅です。参加者一同、心をこめてお線香を上げさせていただきました。
Hさんはお兄様を想い、海に向けて自然に還ることのできる食べ物のみを投じていらっしゃいました。祖父の記憶がない私と違い、
お兄様がお亡くなりになった時にHさんは10代にはなっていらっしゃったはず。一緒に過ごされた想い出などが甦っていらっしゃるのでは
と思うと、その後ろ姿を見て私ももらい泣きをしてしまいました。
澄んだ海と空、南国の木々、その中で慰霊台と国旗は本当に不釣り合いです。戦争さえなければ本来ここにあるはずではないものであり、
決して風景に溶け込むことのないものです。違う出会い方が出来たなら…改めて戦争の罪深さを実感しました。
約1時間の滞在の後、キリバスでの宿泊先となるオシンタイ・ホテルへ。窓の外はすぐ海で子供たちが泳いでいました。岩には鳥がとまり、
小舟で漁らしきものをしている人も遠くに見えました。平和な光景に少しほっとした気持ちになりました。