タラワ慰霊巡拝の旅

祖父の戦没地であるギルバート諸島タラワでの慰霊巡拝の記録です。

タラワで生きた証


  この度HPをご覧いただいた東京都のN様より、タラワで戦死された伯父様から届いた貴重なお手紙を 送っていただきました。
暑い艦内の中で書かれた、タラワでの日常が垣間見れる手紙です。
入港地は○○と伏字になっている箇所があります。当時は自分の赴任地を明かすことも出来ず、家族は何処にいるかわからない 大切な人がただただ無事であることを祈ることしかできなかったのかと思うと切なくなります。
そして便箋に印刷された《国民精神総動員》の文字。
『戦争を起こしてはならない』そう自由に言える時代がどんなに幸せなのかを改めて思い知らされます。
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  英語版のHPをご覧いただいたアメリカ在住のAllen氏より、ベティオを訪れた際に拾得された、タラワの戦いの遺留品を送っていただきました。
写真の薬莢は第3特別根拠地隊司令部の屋上に落ちていたそうです。
実はこれより以前に別の薬莢を送っていただきました。それらはタラワの戦いのご遺族であるS氏のご尽力の下、旧日本軍が使用していたものであると証明され、靖国神社内にある遊就館に寄贈しています。私個人で所有しているより、 タラワで亡くなった方々のご遺族に数少ない遺留品として目にしていただく機会があればと考えての事でした。
その旨をAllen氏に報告したところ、同じ場所で拾得した別の薬莢を新たに送ってくださいました。
第3特別根拠地隊の屋上から攻撃をしていた日本兵のものではないかとのことです。
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  また、同時にベティオで拾われた弾丸を固めたものも届きました。これらが日本軍のものなのか、アメリカ第2海兵団のものなのか私には区別がつきませんが、 戦いの後こういった弾丸が多く落ちていたのでしょう。
勿論いずれも錆びていて現在では使い物にならないものです。ただ、太平洋戦争下で実際に使われた武器であり、人の命を奪うためのものであった ことは間違いありません。
私達の大切な家族が、こういった武器を使うことなく、こういった武器により命を奪われることなく生活していける未来が永遠に続く事を祈らずにいられません。
なお、現在では老朽化のため、司令部屋上に上ることは禁止されているそうです。今後タラワに行かれる方は決して登らないように なさってください。
 
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